【転職体験談】40代で3回転職してわかった、「私にフィットする働き方」

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自分らしい働き方


「好きなことを仕事にする」というのは素敵だけど、実際にそれを叶えられる人はごくわずかかもしれません。
多くの人は、情熱を燃やせる仕事じゃなくても、生活のため、あるいは「まあ許容できるかな」という範囲で働き方を選んでいるのではないでしょうか。
私も、好きなことを仕事にしたわけではありません。
でも「好きなことを続けるために、どんなふうに働くか」を考えて選んできた結果、少しずつ自分の強みが見えてきました。

この記事では、40代で3回転職した私の体験をもとに、「自分らしい働き方」を探ってきた過程をご紹介します。
「好きなことを仕事にするのは難しい」と感じている方に、ちょっとしたヒントになれば嬉しいです。

40代で3回転職|その時どきの「続けたいこと」を守るために選んだ働き方

私のこれまでの職歴は、新卒で入った自動車メーカーから始まり、主婦業、派遣、保険業界と、いくつかのフェーズを経てきました。
一見バラバラに見えるかもしれませんが、それぞれの選択には「そのとき続けたいと思っていたこと」を軸にした理由があります。

ここからは、私がどんな仕事をしてきたのか、そしてその時どきにどんなことを感じていたのかをご紹介していきます。

新卒で入社したのは、自動車が好きだったから――。

理工系の大学を卒業して、自動車メーカーの研究開発職に就きました。
「総合職としてバリバリ働こう!」とやる気満々だったのですが、14年ほど経った頃、ふと気づきました。
あれ?なんだか仕事に情熱が持てなくなってる…。

待遇は申し分なかったのに、心がついていかない。
私はもっと自分の個性を生かして働きたい、気持ちの上でもっと満たされる生き方をしたいと思うようになりました。

そして15年目、「もっとわくわくできる、自分のやりたいことを見つけたい!」という思いで会社を辞めました。

…とはいえ、その時点で明確な「やりたいこと」があったわけではありません。
当時は結婚していたので、しばらくは専業主婦をしながら、まさに絵に描いたような“自分探し”の時期に入りました。

Webデザインの講座を調べたり、放送大学で心理学を学んだり、絵を描くワークショップに通ってみたり。ちょっとスピリチュアルに傾いたこともありました。
とにかく、興味のあることには一通り手を伸ばしてみた時期でした。

でも、どれも「楽しいけど、これを仕事にするのは違うかも…」という感覚が残って、決定打にはならなかったんです。

ダンスと出会って家を出る。初めての転職

そんな中で、ついに「これだ!もう大好き」というものを見つけました。
それはダンスです。
好きなことが仕事にならなくてもいいとしたら…?、と探し方を変えて見つけました。
そういえば、子供の頃から踊るのが好きだった。
ただ、仕事になるものを探していた時には気づかなかったのです。

たちまちのめり込み、最初は地元のカルチャーセンターだったのが、横浜や東京のダンススクールに通うようになりました。

そしてダンスに熱中するあまり、すぐにスタジオに通えるように東京で一人暮らしをしようと考えました。
当時は結婚していたので、夫と一緒に暮らしていた家を出ることになりましたが構いませんでした。
今振り返ると、その頃にはすでに、結婚生活もうまくいかなくなっていたのだと思います。

部屋を借りるためには仕事に就いている必要がありました。
ここで退職後初めての求職活動を開始。
仕事にやりがいは求めず、好きなダンスをするため残業のないことが条件でした。
派遣エージェントを通して、材料メーカーの実験員の仕事が見つかりました。

1人暮らし開始。からの契約終了で無職に。

東京で1人暮らしを始めて、ダンスを続けながら働く生活が始まりました。
しかし当時ものすごい不景気で、派遣で働いていた人たちはみんな契約がなくなった時期でした。
私も1年経った後、契約更新はなく無職に💦

すぐに仕事を探さないといけなかったのだけど、就職難すぎたことと、何をするかが決めきれず真剣に求職活動をしていませんでした。
でもそのうち預金が底をつきそうになり、一旦夫のいる自宅に戻ろうか?と考え始めました。

自由を手放したくなくて|仕事探しを再開

私はその頃、ダンスに打ち込む中で「自分はリズムが好きなんだ」と気づいてパーカッションも始めていました。
そんなある日、大好きなパーカッションのレッスンの帰り道、「この自由を失いたくない!」と衝動的に思ったのです。
それは突き動かされるような感覚だったので、「やっぱりもうすこし頑張ってみよう!」と考え直さずにはいられませんでした。

そこから本気出して求職活動をしました。
前回の経験から、理系の仕事には違和感があると思ったので、職種を一般事務に変えて残業の少ない会社を探しました。
40代でキャリアを生かす転職ではなかったので、なかなか大変でした。

つぎつぎ不採用の返信がくるのはめげますよね。(20社くらい応募した)
それでも「絶対に一人暮らしを続ける」という思いから応募し続け、ついに1社から採用されました!
(ほんとに不景気だったので、100名以上の応募があった中から選んでいただいたそうです)

強みが見えてきた|保険業界で積み重ねた11年

採用されたのは、少額短期保険を扱う会社でした。
保険の知識は全くありませんでしたが、損害サービス(保険金支払いに関する業務)を担当しながら、実務を通して勉強していきました。
初めてお客様と電話でやり取りする仕事もあり、最初は毎回ドキドキ。ちゃんと答えられるか心配でほんとに緊張しました。でも次第に慣れていき、自分なりの対応スタイルも身についていきました。

また、理系出身の強みを活かして、保険金支払いのデータを集計・分析する業務にも関わりました。
保険の仕組みを知ることや、数字を扱う作業は割と性に合っていてそれなりに面白かったです。

ただ、その後、会社の方針で損害サービス部門が外注されることになり、再び転職することに。
次は「同じ保険業界なら経験が活かせそう」という思いから、損害保険のデータを扱う非営利団体に応募しました。

ここでは契約社員として採用されましたが、実際の業務は「一般事務」というより、システム運用やちょっとした開発、保険データの整備といった内容で、技術寄りの仕事も多く含まれていました。
残業をほとんどしない働き方ができそうだったので、数年後に正社員登用に応募し、無事採用されました。

この職場では、働くうちに思わぬ形で自分の適性に気づくことができました(このあとご紹介します)。
ここで11年間勤めて定年退職を迎えました。最後には『もっと一緒に働きたかった』と声をかけてもらい、なんだか報われたような気がしました。

「自分らしく働く」ためにゆずらなかったこと

私の転職経験はこんな感じで、仕事にやりがいを求めてはいなかったけど、私なりに自分にフィットする環境を求め、いくつかの条件がありました。

残業が少ないこと|やりたいことを続けるために

ダンスのレッスンや、ドラム・パーカッションの練習、発表会やライブ…そういった活動に時間とエネルギーを注ぎたかったので、仕事には「残業しない」が絶対条件でした。

一般事務を選んだ理由|理系の違和感からの方向転換

自動車メーカーと材料メーカーでの実験員の経験で違和感を感じたことから、やっぱり理系の仕事は違う…と思い一般事務で探しました。
ただ、一般事務で採用されても、実際には「いや、これ一般事務じゃないよね?」という仕事ばかりではありました。…でも、そうやっていくうちに、意外と得意なことにも気づけた気がします。

非正規雇用を選ぶという選択|安心より自分の時間を優先

もちろん正社員の方が安心だけど、残業しないでプライベートを優先する働き方を探した結果、非正規雇用にならざるを得ませんでした。
正社員へのこだわりは捨てました。

実際、私の条件では正社員の募集はほとんどなかったし…。

最後の会社では、契約社員から正社員に登用されたので、一旦非正規で入って経験を積んでから正社員を狙う手もあるんだなと思いました(※ただし、そういう制度がある会社に限りますが…)

40代の転職は厳しかった。でもハローワークに救われた

私が転職活動をしたのは、3回とも40代でのこと。
キャリアを生かす転職ではなく、一般事務を狙ったので状況は厳しかったです。

転職エージェントでは、40代一般職・未経験だと、転職会社内の選抜に残れず応募に進めません。
私が採用にこぎつけたのはハローワークからの紹介でした。
ハローワークは、先方が欲しい人材とこちらの条件があれば、すぐに応募することができます。

ハローワークはブラック企業が多いなどと言う人もいますが、もちろん良い会社も多いと思います。
40代50代でなかなか見つからない場合は、ハローワークを選択肢に入れるのも良いのではないでしょうか。

「想定外の評価」から気づいた、自分の強み

最後に勤めた職場は、保険関連の非営利団体でした。
私はシステムの運用を担当しつつ、大量の保険データの整備にも関わっていましたが、あるときふと、「気づいたら仕事がすごく評価されていた」ことに驚きました。

入社当初はシステム開発グループにいて、その後システム運用のグループに異動したことで、開発と運用、両方の事情がわかる立場になりました。このため間に立って調整する役割が任されていました。
また、理系出身の背景からデータの構造や仕組みにも強く、他の部署からの問い合わせにもすぐに対応できて、それは他の人には難しいことだったようです。
つまり私は、全体の流れをつなぐ“かけはし役”となって評価されていた…。

それまで私は「何をやっても7割くらいまではできるけど、極められない」と感じていて、強みがわからないままでした。
でもこの経験を通じて、「いくつかのスキルや経験を組み合わせることで、新たに役に立つものを生み出せる」ことを実感しました。

「ああ、これが私の強みだったのかもしれない」と、ようやく思えた気がします。

定年退職の日、開発グループの方が「kotosatoさんがかけはしになってくれて本当に助かりました」と声をかけてくださって…。
その言葉がほんとに嬉しくて、今でも心に残っています。

振り返って感じていること

生活のための仕事で強みに気づけた

私は好きなダンスや音楽を続けるために仕事をしてきました。
だから、仕事にやりがいや達成感を求めたことはあまりありませんでした。
それでも、目の前の仕事に取り組む中で、自分の強みや得意なことに気づく瞬間がいくつもあったのです。

「やりたいことが見つからない」と思っていたけれど、興味を持って取り組んだことの積み重ねが、少しずつヒントをくれました。
今振り返ると、すべてがつながっていたと感じています。

もちろん、まだまだ途中です。
たぶんこのまま、ずっと途中のまま進んでいくんだろうな…とも思っています。
でも、それも悪くないですね。

ダメだったこと、違ったことも

やってみたけど、「これは違ったな」と思ったことも、たくさんあります💦

たとえばダンス。最初は「これだ!」と夢中になったけど、続けていくうちに、自分のやりたい表現には身体的な限界があると気づいて挫折。
心理学も、学ぶのは面白かったけど、カウンセラーになろうと大学院を目指したときに「本当はそこまでやりたいわけじゃない」と気づいて、やめました。

でも今では、それも失敗じゃなくて、「これは違う」とわかったという経験だったんだと思えます。

やみくもに何でもやるのはちょっと違うかもしれないけど、何か心に引っかかるものがあれば、やってみる価値はあると思います。
やってみないと、それが本当にやりたいことか、得意なことかなんて、わかりませんよね。

まとめ

「好きなことを仕事にするのは難しい」と思ってたけど、好きなことを続けるための働き方を選んできたら、いつの間にか自分の強みに出会っていました。
やってみて違ったことも、ちゃんと意味がありました。
今もまだ「途中段階」だし、これからもさらに挑戦していきます。それも悪くないですね。

もし今、「やりたいことがわからない」と感じている方がいたら、
少しでもヒントや参考になればうれしいです。

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